プライド

先日友人が、勤めていた超一流企業を退職しました。まだ50代ですから定年前なのですが、メールで事情を聞くと「役職定年になったので…」とのこと。その業界では有名人でしたし、人脈も広く、役職から外れるとはいえ会社側としても残ってほしい人材だったと思いますが、これからは違う業界に身を置くそうです。(これまで築いてきた人的ネットワークは活かせそう、とのこと)

このブログを彼が読むこともあり得るとは思いつつ、彼なら許してくれるはずなので感じていることを書きますが、良い意味でも悪い意味でもプライドの高い人間でした。良い意味では常に学び、知識を蓄え、行動し、体を鍛え、誰よりも仕事の成果を上げるための努力をしてきたということ。時々会って、彼の仕事での武勇伝を聞くのがとても楽しかった。

一方で、上下関係を重んじすぎる傾向があり、部下後輩に対する高圧的な接し方(一歩間違えればパワハラ)は悪い意味での年功序列的なプライドがそうさせているように感じ、彼が最高の営業成績を上げていたとしても、役職定年を迎えたという事実が、これからのリーダーのあり方を示唆していると感じました。

 

今日、ここで伝えたいのは、「リーダーはプライドを捨てて部下に優しく接しよう」ということではありません。むしろ彼の良い方のプライド…「自分のより高い活躍の場を求め、50代半ばにして新たなチャレンジを選択した」ということに感じる部分があったのです。

会社の定年後の雇用義務に乗じ、ただ安定的収入を得るためだけに働き、成果に見合わない給料をもらい、しかし悪いほうのプライドは捨てきれずに、仕事内容を選び、高圧的な態度を取る(言い過ぎかもしれませんが)… 年下のマネージャーや若手社員のモチベーションを下げているだけのシニアが多い、と聞く機会が増えたような気がします。

また、大手企業ではシニアが定年後に子会社の役職者として転籍し、相変わらずの高給をもらっている… 子会社には優秀な人材がいないから、と言ってしまえばそれまでで、本来は若手に権限移譲し、人材を育てるのがシニアの役割なはず。年配者が古い価値観で権限をふるっていたのでは、その組織の変革など成し遂げられるはずもありません。(あくまでも一般論です)

 

最近話題の、サントリーホールディングス新浪社長の「45歳定年説」が炎上しまくっているという件、「定年」という言葉が適切か云々、は置いておいて、若い時から常に自分のこれまでの経験と、自分自身が持つ資産(知識、スキル、人脈など)を棚卸して、そこにプライドを持てているかを考えれば、45歳であろうが55歳であろうが、堂々と人生における選択をできるはずだし、そこからの成長の意思がないなら、それなりの処遇となるのもやむを得ないのでは?と… (炎上させる理由がわからない…)

自分自身の成長に対するプライドを持たずに、過去のポジションや一方的な人間関係などに対するプライドに固執するシニアにはなりたくないな、とあらためて感じ、彼に負けないようにこれからも切磋琢磨したいと思いました。(本間)